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歩行中の様子 育成 2

©神奈川県民ホール

劇場運営マネージメント講座
シリーズ「これからのインクルーシブ社会と公立文化施設の取り組み」
第17回 白杖体験~見えない世界を歩く~

  • 2023年3月20日
  • 大ホールロビー 正面広場

歩くという行為は、思っているほど簡単でも、安全でもありません。試しに目を閉じて数メートル歩いてみれば、想定したコースから外れて歩いていることに気がつきます。

コースから外れた原因は体の傾きです。人の体は左右どちらかに傾いているので、視界に目標物を捉えていないと真っ直ぐ歩けません。駅にホームドアが設置される以前、スマホ歩きで線路に落下というニュースが時々流れました。本人の感覚では真っ直ぐ歩いていたのでしょう。

同じように、音楽を聴きながら歩いている人を観察すると、人にぶつかりそうになっているのが分かります。音楽に集中していて、前から来る人をよけるという意識が低下しているのでしょうか。目の前に迫る状況は見えているが、自らの安全と結びつけて考えてはいないようにうかがえます。

 

人の動きは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚などの感覚器官から得た身の回りの情報を脳が分析し、次の動きを選び、それを筋肉に伝えることで生まれます。感覚器官から得た情報の中で、最も重要なものは目から得た視覚情報です。人は情報の8割を視覚から得ているという説もあります。それほど重要な情報をないがしろにすれば、転落や衝突、さらには命にかかわるリスクを負うことになります。しかし疑問が残ります。

白杖の人たちは、なぜ杖1本で街中を歩けるのでしょうか。

ヒントは視覚以外の感覚器官の使い方にありそうです。それを探るべく、白杖歩行の講座を開催しました。見えない世界を歩く小さな冒険です。

 

この講座は2年ぶりの開催となります。今回も最初に2人1組となり、クロックポジションによるガイド方法をさっと説明してすぐに歩行を開始しました。前回はこの時点でほとんどの組が最初の1歩を踏み出せませんでしたが、今回も数組がその場から動けなくなりました。初めて目を閉じて歩き出す瞬間に感じる不安は、本人の予想を大きく上回ります。進むコース上に障害物はないと分かっていても、隣のガイドの腕や肩に手をかけた状態であっても、不安は消えません。視覚情報を失った不安に支配され、白杖が伝えてくる情報をまだ信用できない状態です。

 

全組が最初のコースを歩き終えたところで、次のコースへ移動します。場所は前回同様2階の共通ロビー。ここは環境の変化がいくつか用意されたテクニカルなコースです。歩行の際に意識を向けるのは、天井の高さが変わった時の杖の反響音(聴覚)、陽が差す場所を通過する際の頬に当たる空気の暖かさ(触覚)、待機中の自動販売機が発するジーッという音(聴覚)など、普段は全く気に留めない情報です。眠らせていたセンサーを起動する段階です。

 

ひと通り歩いた後は、自由に歩き回る時間です。この頃には参加者の緊張もだいぶほぐれ、白杖を手に興味津々で歩き回るようなっていました。とは言え初めて白杖を手にしてまだ一時間も経っていません。新しいセンサーを得て好奇心が刺激されるのと、拭えない不安感が入り混じった状態です。

こうして新しい知覚の扉を少し開いたところで、講座は終了しました。

 

この体験講座は、視覚障害を疑似体験するものではありません。視覚以外の感覚器官の役割を体感し、視覚に障害のある方への案内に役立てることを目的としています。街を歩けば点字ブロックだけでは伝えきれない情報がたくさんあります。例えば位置情報として役立つファストフード店の匂いや、歩道を横切って進入する駐車場入り口の危険性。これらは当事者にとって重要な情報ですが、当事者以外はその重要性に気が付きません。それを忘れないために、今後も講座を続けます。

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